頭の上にある灯りが、暁を受け入れて消えた。
彼女は立ち上がり、目を細めて陽を見つめた。
そして彼女の意志で一歩を踏み出した。
彼女はいつも終わりを思って足を踏み出すが、残念ながら今日の一歩も、終わりのそれではなかった。始まりのそれでもなかった。
足元から続く赤レンガの道を少し行くと、こじんまりとした門があった。赤褐色のレンガを積み上げて作られたアーチ状の門は、それがひどく古くからあることを感じさせる寂れた風貌をしていた。
不思議なことに、その門の向こう側は白く湖のように波打っていて、遠くを見通すことはできなかった。
しかし、やはり彼女は、身体に張りつく氷があろうと、行く先が白く波打っていようとも、足を踏み出す他なかった。
門をくぐると温い風が彼女をなめた。そして気づけば彼女は、徒(ともがら)の国、もしくは亡骸(なきがら)の国と呼ばれる土地に居た。
いつの時代も、どのような形であれ友を探す者、亡き人を求める者は、必ずここを通るのだった。それは、悠久の昔から続く営みで、人が何かを求めずにはいられないことを感じさせた。
「希求する事を知る者は幸いの実在を知る」
子どもの頃、教道所の導師によく言われたことを思い出す。それはひどく俗っぽく響き、彼女には気に入らなかった。
「求めるものがあれば幸いなのではない、求めることそのものが呪いだ」
彼女は吐き捨てるようにつぶやいた。
求めるものがない故にいのちを断つ人が少なくないこの世界において、何かを求めることはそれ自体が望み、救いと簡単に混合されてしまう。
でも、それは違うと彼女は考えていた。
「あなたにもいつかわかる時がくる。心の指す方向、それを知り、希求できる恵みと喜びが」
彼女はもう、導師について思い出すことはやめた。衣食住を与えてくれたことにも、「教え」を説いてくれたことにも、感謝してはいなかった。
ただただ彼女には、存在の残酷さだけが重く圧しかかっていた。
「いる、は無条件で発生してしまうのに、いない、はなぜ厳しい条件つきなのだろう」
素朴な疑問だった。
この徒(ともがら)の国では、数多の人がついに求める者を得られず、白くなるかこの世の人ではなくなってしまう。
生きることに、求めることと、そしてそれに伴って苦しむことが付随するなら、何が恵みだろう。何が望みだろう。
「ふざけるな」
彼女はいつも、心の奥底で慟哭していた。
この世界の在り方に。
世界を諦め、白く浮いた人々に。
自分自身を騙して生を繋ごうとする人達に。
その哀哭の音鳴りが、彼女の心をいつも内側から圧し、赤く渦巻いていた。
人ひとり幸福に過ごすことのできない世界のどこに恵みがあるのか。
渦巻いている力は、遠く厭離(えんり)の国にいる、ひとりの灯職人の元まで届いた。
夕に、徒(ともがら)の国の入国常用門に着いた。
警吏たちによる簡単な入国審査を終えた後、彼女は安宿に休息を求めた。簡素なベッドと机、青くひかる卓上灯以外には何もない、質素な部屋だった。
警吏たちのことを思い起こす。
彼らでさえ、睫毛や髪の先は白くなりはじめていた。この国に誰かしら国民が居て、遠く昔から存続しているのが不思議だった。あるいは、それも彼女の敬遠する「教え」に記述があったかもしれない。あったとて、どうということはないのだが。
ベッドに横たわり、彼女は息を吐いた。遠く友を思い出し、静かに夜を思うのだった。窓辺から、月光が霜のように白く注いでいた。
「なぜ…」
その問いは、多分に責めを含んでいた。
友に。世界に。そして存在自身に対して。彼女の身に張り付く氷は、変わらず冷たく彼女を苛んだ。
ー青い灯りと白い月光が、彼女の部屋を仄かに照らしていた。
…
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