エーリッヒ・フロム『愛するということ』(“The Art of Loving”, Erich Seligmann Fromm)について理解を深めるため、「『愛するということ』から考える」というマガジンを作り、細かくテーマを立てつつ考察を行っていく。
この試みの中で哲学的思索の射程を伸ばして、下鴨ロンドでの自主哲学読書会においても、日常での生活においても、ひとびととの対話・関わりに活かせると良いなと思う。
『愛するということ』は1956年初版ということもあり、内容にいくつか誤謬が認められると考える。今までのところ、以下の点に注釈しながら読み進めている。・当時の常識や宗教的理解に影響を受け、同性愛について「正しい愛の形ではない」という理解の誤謬がある。・文中で用いる「母親」「父親」という語はあくまで人間的父性、母性の性質だとしながらも、男性役割、女性役割を強く感じさせる記述が多い。母親、父親、女性、男性を「人間」に置き換えて読むことで、現代において、より力のある文章となろう。
死、孤独への恐れに人はどう対処しているのか
この数年来、私の中心的な関心事として浮かび上がってきたものに「死、孤独への恐れに人はどう対処しているのか」というものがある。
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読み進める中で、同じ関心に支えられている文を見つけた。
“どの時代のどんな社会においても、人間は同じひとつの問題の解決に迫られてきた。
いかに孤立を克服するか、いかに合一を達成するか、いかに個人の生活を超越して他者と一体化するか、という問題である。”引用:エーリッヒ・フロム著, 鈴木晶訳, 『愛するということ』紀伊国屋書店, 2020年, p23
ここでは、孤立、合一、一体化という語が重要な概念として扱われている。
孤立
孤立とは何か。ここではもちろん、精神的な孤立について述べられていると考える。人は「物理的に孤立していても、精神的には孤立しておらず充足している」という状態を取りうるからである。であれば、対処が求められるのは物理的な孤立に対してではなく、精神的な孤立に対してであろう。
孤立の克服
孤立の克服については定義が難しい。何故なら私が思うに、孤立を和らげる手段は、万人に有用であろうものがあるとはいえ、個人差も大きいと考えるからである。もちろん、悟りなど一種超越的な概念を扱えば、汎化して論じることも可能かもしれない。しかし、それは畢竟目指していく境地であるとしても、現在を生きる私たちの多くにとって机上の空論に近いものでなかろうか。孤立の克服について、用いることのできる唯一の個体である私自身を例にとって考える。私は主に、哲学、音楽、自然を通して孤立を癒し得る。そして、(たしか『愛するということ』でも言及されていた)世界と繋がる、自分が世界の一部であり一体であるという感覚に近づき、触れることができる。しかし、この「哲学、音楽、自然」が世界接続の水路となるということは、もちろん普遍的なことではない。人によってはここに、美術、工学、数学、写真、舞踊、なんでも入るだろう。つまり私たちは孤立への対処のために「自らに適した世界接続の水路」を見つけていかなければならない。それは常日頃使っている言葉に置き換えると「自らの幸福の要素」を見極めるということと近似である。
合一、一体化、その感覚
(世界との)合一、一体化とその手段については、前段落でも触れた。ここでは世界との一体化の感覚とは何かについて考えたい。一体化の感覚は端的に言えば、「心が穏やかになる」「不安や心配の気持ちが弱まる」「孤独ではないと安心できる」といった、平穏に繋がる感情たちの上位互換である。この感覚はさらに語り進むと、“過去・未来ではなく今現在に自分と自身の身体が存在していること”への諒解を持って、“自らが世界の一部であるということ”、”世界に今まさに受け入れられているということ“を、非常な強度を持って感じる体験であると言える。例を挙げると、器楽演奏に全身全霊を持って没入しているとき、詩や文が心の心奥に触れ得たときなどに、一体化の感覚を覚えることがある。もちろん、瞑想を通して心の凪ぎを得、徐々にその感覚に触れていくこともある。
精神的孤立への対処
ひとつ、人は精神的な孤立への恐れに、各々が見出しうる、世界と一体化する手段で対処していくことができる。瞑想体験では「これまでに経験したことのないほど心が落ち着いた」「何故か、じわじわと染み入る巨大な安心感を感じた」などの体験談を聞くことがある。それは瞑想の力であるが、瞑想だけの力でもない。私たちひとりひとりに、自身に合った手段があるだろうと考える。
また、フロムは一体化に関して引用文中で「他者との一体化」とも言っているが、これは文字通りの意味ではないだろう。「誰かひとりと一体化して、その人自身の精神の孤立が癒える」とは考えにくい。ここでの「他者」とは、人類一般、ひいては世界存在を指しているのだろうと思う。
ここ十年の実体験から言って、精神的な孤立とそこから来る寂しさや苦しみは、対処不可能な課題ではないように感じている。もちろんそれは、“精神的な孤立をまったく感じない”ということではない。“精神的な孤立に対処することができる(苦しみが深いとき、軽くすることができる)“くらいのものだ。しかしそれが、人間に元来備わった(生命に備わった)“孤立”に振り回されないために貴重であろう。
エーリッヒ・フロム著, 鈴木晶訳, 『愛するということ』紀伊国屋書店, 2020年, p23, https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314011778
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