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第四十七候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)
9月28日〜10月2日頃
虫や蛇、蛙たちが冬に備え、戸隠れする時期
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秋分。やっと、秋風を感じられるようになってきた。
時候は、蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)。古来、虫の一種として扱われてきた蛇や蛙も含め、たくさんの虫たちが冬に向けた準備を始める頃。
秋というと、彼岸花や金木犀など、懐古の情を起こす花たちのことが思い浮かぶ。彼岸と此岸、あの世とこの世。金色の花と柔らかく甘い香り、想起される記憶たち。
わたしの中には、かつて彼と語らった記憶がある。その記憶には秋の情がある。「あなた自身は、いったい何を考えているのか」「お為ごかしをして何になるのか。それよりも、お互いに推し量ることなく意見を交わすべきではないか」「わたしたちは四苦八苦*以前に、まず一(ひとつ)、生だけでも耐え難い」「そもそも生とは何なのか」いつも実直で、ときに人を傷つけようとも、決して自らに嘘なく語るその言葉は、わたしにとって、自身の在り方を守る言葉の盾となっている。
わたしたちの言葉はよく、矛になると言われる。それは遥か昔から言われている。
「同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。 御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます」 ヤコブの手紙3章5節〜6節(新共同訳)
「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである」マタイによる福音書15章11節(新共同訳)
けれど、言葉は盾戈(じゅんか)両方であると思う。用いようによっては盾にもなる。恒久に古びない精神の盾にもなる。けれど、言葉が誰かの盾となるように語るには、まず自らに嘘なく、次に他者に嘘なく語ることが肝要なように感じている。
人間として生きざるを得ない以上、彼岸花や金木犀のように佇むことはできない。秋分のこの時期、虫たちのように、口を噤(つぐ)んで冬籠りすることもできない。
彼の在り方とわたしの在り方は違う。推し量ることなくぶつかり合うことが良いとも思えない。わたしはせめて、自分にできうるだけでも、聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅く**あり、”言葉の盾“という概念を意識下に置いておきたいと思う。
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参考文献・資料:
*四苦八苦(仏教用語)/ 四苦は、生老病死を示す。その他、愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょう)を含んで八苦とする。(日蓮宗, 「じつは身近な仏教用語 四苦八苦」, 2024/09/28参照) https://www.nichiren.or.jp/glossary/id154/
**聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅く(キリスト教用語) / 愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。(ヤコブの手紙1章19節(新共同訳))
山下 景子, 『二十四節気と七十二候の季節手帖』, 成美堂出版, 2013年. https://www.seibidoshuppan.co.jp/product/9784415314846
(仲秋、秋分・次候、第四十七候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ))
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