精神保健福祉士として、自死・自殺*をあつかう活動に参加したり、本を読んだりする中でよく出会う言葉があります。
(*自死・自殺:もともとは「自殺」という言葉だけが使用されていたのですが「自分を殺す」という表現の苛烈さにつらい思いをする遺族がいるという事実から、「自死」という言葉が普及し始めています)
それは、「死にたいという訴えは、本当は生きたい気持ちの裏返しなんだ」というものです。
ですが私は、その表現は間違っているのではないかと思っています。
もしあなたが「今日は休みたい気分なんだ」と言ったときに、「それはもっと働きたいっていう気持ちの裏返しなんだよね」と言われたら、どんな気持ちになるでしょう。
きっと、「なに言ってるんだこの人」「ちゃんと話を聞いてくれ」となるのではないでしょうか。
たしかに、希死念慮*を持つ人(死にたい、消えたいという思いを持つ人)も、「つらい原因」や「悩み」「悲しみ」などが全て取り除かれたら、生きたいと思うかもしれません。
(希死念慮:精神医学用語で「死にたいという気持ちを持つこと、自殺を計画すること」を意味する。実際に自殺を実行すると「自殺企図」と呼ばれる)
おそらく「生きたい気持ちの裏返しなんだよね」と言う人は、以下のような思考で発言しているのだと思います。
・死にたいと言っている
↓
・死にたいくらい、つらいということなんだ
↓
・そのつらさを取ってほしいから「死にたい」という言葉でアピールをしているんだ
↓
・つまり、生きるために、苦しいというアピールをしているんだ
↓
・結局のところ、生きたいんだ
この思考自体が間違っているとは言いません。
ですが、先ほど例にも挙げたように、自分で考えて、自分の口から出た言葉を、他者にまったく違う言葉として言い直されてしまうのはつらい体験です。
最近は「うつ病」といった言葉も、以前よりかなり広く認知されてきました。
日本では、およそ17人に1人が生涯のうちにうつ病を経験すると言われています。(参考:厚労省「うつ病」https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_depressive.html)
きっとあなたも、気持ちが落ち込んで、死にたいまではいかなくても、消えたい、いなくなってしまいたいという思いのある方に出会うことがあると思います。
そういった状態にある人にとって、信頼の置ける人というのはとてもありがたい存在です。
ただ横にいるだけで、他愛のない話をするだけで、十分に価値があります。
無理に元気を出させようとしたりせず、その人の言葉を大切に受け取ってあげてください。
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