第七候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)

エッセイ

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第七候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)
3月6日〜3月10日頃

蛇や蛙、蜥蜴とかげも含む小さな生き物たちが、巣穴から這い出てくる時期
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桃の枝を飾った。ただそれだけで、この世の見え方が少し変わる気がする。

昔の人も、何も確かなことなどないこの浮き世に、それでも春がた来ること、そうして桃の花が咲くことを喜んでいたと聞く。

うれしくも桃の初花見つるかな また来む春も定めなき世に

藤原公任『公任集』

この定めなき世では、春が来ることも、桃の花が咲くことも、当たり前ではない。昨日の夜、私が静かに眠りに就いたことも、今朝目を覚ましたことも。

明日には、一時間後には、一瞬ののちには、わたしはここに居ないかもしれない。明日も、明後日も、1年後も生きているような顔をして皆生きているが、私たちは本当はいつでも、つかのま現れては消えていく霧のようなものだ。

 

いまは啓蟄けいちつすごもりむしが巣穴の戸をひらき、この世の中へ這い出ずるとき。冬の間この世から離れていた小さな生き物たちは、目覚めて幸福だろうか。小さな生き物たちは、暖かくなり春めく世を、どんな眼で、手で、肌で感じているだろう。

浮き世、憂き世とも言うとおり、生きていくことには慢性的な苦が伴う。それでも、桃の枝を飾ることだけでも、わずか晴れる余地がある。そのことに励まされる心地もする。

明日、明後日、明々後日、穏やかに桃の花が咲いてゆき、それを見届けられるといいなと思う。

 

よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。

新約聖書 ヤコブの手紙 4章13〜14節(口語訳)

 

 

 

 

 参考:山下景子(2013年)『二十四節気と七十二候の季節手帖』成美堂出版https://www.seibidoshuppan.co.jp/product/9784415314846

(仲春、啓蟄・初候、第七候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく))

プロフィール

1992年生まれ。京都在住。
精神保健福祉士、文筆家、英語講師、ライティング講師。
英語や京都、メンタルヘルス分野を中心に、企業等でフリーランスとして執筆を行なう。
また、塾や就労移行支援施設で講師として活動している。
ライティング、英語、英会話、カウンセリングの個別相談にも対応。
TOEIC920点、精神保健福祉士(国家資格)を保有。
死生観について在野、たまに在学で思索中。
趣味はチェロやギターの演奏、紅茶、京都散策、建築探訪、美術館巡り。
(撮影:橋本優馬)

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Nika Nishimura

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